ーOOO-ネコとワタクシ
その子猫は、ひょいと一週間前に現れたのです。
会社の横っちょの細い道で、にゃあにゃあ泣いている。
みんなが口々にうわさした。
「かわいいね」「気になるね」「おかあさんはどこに行ったんだろうね」「かわいそうだね」「目やにがいっぱいくっついてるよ」「カゼをひいてるんじゃないかな」「気になるね」「おかあさんはどこに行ったんだろうね」「かわいそうだね」
気になって、仕事が手につかない。
夕方になるころ、子猫はいつのまにかどこかに行ってしまって、みんなでちょっと安心したり、逆にうっすら心配したり、まあ、そんなだ。
「あの子はどこにいったのかねぇ」
みんなが心配するころ、ひょいとその子猫は現れて、また去って行った。
そんなことがチョクチョクおこる。
そして、あれは土曜日のこと。
朝からの雨は昼過ぎに本降りへと変わり、急に気温が低くなってきたころ、
「にゃあ、にゃあ」
あの子は現れたのです。
身体はすっかり濡れそぼって、ぶるぶる震えている。
「にゃあ、にゃあ」
鳴きすぎたのかノドがかすれて、すっかり声が変わっている。
泣き疲れると隅っこに行って、丸くなって眠る。やっぱりぶるぶる震えている。
おかあさんはどこに行ったんだろう。
目やにはますますひどくなっていて、ほとんど目が開かなくなっている。
夕方になって会社のみんなが帰る頃になっても、まだ親猫の現れる気配がない。
かわいそうだねと言いながら、会社のみんなは帰って行ってしまう。
でもあんまりにも子猫がかわいそうに思えて、えさを買ってくる人がいたり、蒸しタオルで身体をぬぐってやる人がいたり。
どうしよう。
で、仕方がないので、ワタシは子猫を動物病院に連れて行くことにした。
ちいさな段ボール箱にタオルを敷いて、そっと子猫を乗せて。
雨の降る中カサを差し、胸に抱えたその箱は、驚くほど軽かった。急いで、でもなるべく揺らさずに。動物病院への道を急ぐ。
見た目はちいさな動物病院だったけれど、その中はレントゲンの設備とか手術だとか、すごくたくさんの設備が整っている感じがした。
先生はあちこち撫でたりさすったりして、
「カゼじゃないかな、と思います。あと雨に打たれていたせいか、低体温で心配です。いまお薬を注射しますけれど、家に連れて帰ったら、暖めてあげてくださいね」
えっ。
…えっ。
そりゃそうだよね、薬を飲んでハイ終わりって訳にはいかないよね。
そうか、連れて帰って、育てなきゃならないのか。
恥ずかしながらワタシにはその覚悟が、全くなかった。
ただ、目の前で震えている子猫を何とかしたかっただけだった。
しかし、子猫を救うと言うことは、 …この子を飼うってコトになるのか。
「湯たんぽとかで暖めてあげて、最初のウチは流動食をこの注射器みたいなもので口の中に流し込んであげます。1回に5mlくらいずつ、ゆっくり食べさせてあげてください。低体温ですから、食べ物を暖めてあげるといいでしょうね。できますか?」
まったく動物を飼ったことがない自分には自信が無くて、ちょっと無理に思えたので、入院させて病院で面倒を見てもらうことにしました。
帰り道は「ネコを飼ったらどうなるだろう?」ということでアタマがいっぱいになった。
ネコとの楽しい生活も思い浮かぶには浮かぶ。デレデレしちゃいそうだ。
でも、子猫がひとりぼっちで留守番している様子を思い浮かべると、やっぱりかわいそうだ。あと自分は動物を飼ったことがない。冷静に考えろ、無理だ、無理だ。
だけど、あの子猫を野良に戻しちゃったらどうなるんだろう? 野良猫って寿命が短いらしいじゃん? たとえ狭い家の中でも、家猫として暮らした方が幸せなのかな…。
ネコの幸せって、なんだろう? よくわからなくなる。
翌日、会社に行って、コトの顛末を報告。
ほんでもって、子猫を飼ってくれる人か、あるいは子猫を飼ってくれる人が現れるまで里親になってくれる人を探すことにした。
んが、コレが大苦戦。
ネコを飼ってない人は、まあもちろん、興味がない。
ネコを飼っている人は、自宅のネコとの相性があるから、簡単に「うん」とは言わない。
パートのおばちゃんは、こう言った。
「あなたがお金を出して病院に連れて行って、かわいがっているのをみんな知っているから、ソレを「ワタシが飼いたいです!」っては言えないわよ、きっと。ね、だから、アナタが飼っちゃえばいいんじゃない?」
別なパートのおばちゃんは、こう言った。
「野良猫はねぇ、可愛い可愛いって言うけど、みんな無責任だよね。関わっちゃうと、困っちゃうでしょ? やっぱりね、関わらない方がいいのよ。でもね、関わっちゃったんだよね、アナタは。うーん、難しい」
昼休みに会社を抜けて、動物病院にお見舞いに。
「だいぶ元気になりましたよ、食欲も出てきて、固形物が食べられるようになりましたし、うんちも固いヤツが出るようになりました」
口をぱくぱくさせているけれど、鳴き声が出ない。
「ノドが枯れちゃったみたいですね、でもしばらくすれば回復しますよ、大丈夫」
ホッとする。
いやー、よかった。
やっぱりうれしくなる。
病院にはもう何日か預かってもらうことにしました。
そしてセンセイと雑談。
いやー、こういう子猫をひとり暮らしで飼うのは、大変ですよね?
「いやいや、ネコというものは基本的に寝てますし、ひとり遊びの天才ですから。犬に比べればラクだと思いますよ」
えっ。
いやー、でもこういう子猫は、トイレのトレーニングとかたいへんでしょう?
「いやいや、ネコというものは、砂のあるところでトイレをする習性がありますから、きちんと猫用のトイレに砂を用意しておけば、すぐに馴れますよ」
えっ。
いやー、でもこの子が鳴いているのは、やっぱりお母さんが恋しくて泣いているんだと思うんですよ。
「いやいや、ネコというものは、これくらいの年齢になったら乳離れが済んでますよ」
えっ。
…えっ。