舞台の「世界の中心で愛をさけぶ」 ーOOO-

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昨日は世田谷パブリックシアター
世界の中心で愛をさけぶ
の舞台初日を見てきました。

大ヒット小説が
映画化されたりドラマ化されたりするのって
まー、アリガチっちゃーアリガチ。
そしてそれにいちいち
金を払うマヌケなカモのワタクシなんですが。

んで、それぞれをみて
「このシーンは映画の方が好き」とか
「ドラマの方が好き」とかそういう気分が、
一週間も立たないうちにほどよくミックスされて
最終的に
「オレ版・ベリーベストオブ世界の中心で愛をさけぶ
みたいなものが
オレの脳内に勝手にできあがっちゃう感じが良いワケですよ。

あと、個人的には
「あれだけヒットしたセカチューだけど、
 なぜアレが良い作品なのかがわかんない。
 っつーかセカチューって一体なんだったのさ?」
みたいなモヤモヤとした気分があって、
そのモヤモヤとか疑問みたいなものの答えがほしくて
舞台を見にきた部分もあるかも。

さてさて、舞台の感想。

舞台で演じられる以上、時間や空間に制限がある訳で、
シナリオは原作を尊重しながらも改編されている。
物語をどんどんと切り詰めて短くしながら要所を重ねてある。
そして生まれた時間にオリジナリティを足してある。
あと、
シェイクスピアの劇のフレーバーが感じられる、
とかいって(←知ったかぶり)。

升毅の演じる男性教師は
校則を重んじて不純異性交遊を取り締まり、二人の仲を裂こうとする。
それでいて、二人の仲を応援するような気持ちも持っている。
舞台の上でドタバタを演じ、笑いを取る役どころ。
これは、ロミオとジュリエットで言う「乳母」かな?

とかいって。
シェイクスピアに詳しい訳じゃないのでやめときます。ひー。
あ、別にソレを意識しなくても
きちんと舞台は楽しめますよ。



以下ちょこっとネタバレありで。

個人的には
セカチューって
「あれほど心の底から愛していたヒトがいたのに
 他の誰かと結婚することって、あるよね」
って話だと思うんですね。

小説で言うと
99パーセントはサクとアキの話なのに
ラストシーンはいきなり取って付けた様に急に現代のシーンになって
新しい恋人と結婚することになって
サクはアキの骨を撒くことを決意するんだけど。

ワタシの勝手な妄想ですけど
作者はこのラストシーンこそが
書きたかったんじゃないかと思うんですよ。
このラストシーンの「効果」を高めるために
それまでのサクとアキの物語を美しく描いた、と。

舞台ではこの部分の葛藤がカットになってて
純愛物語としてはスッキリして
違和感のないものになってるけど
ワタシとしてはなんか物足りない感じがして
「なーんかソレはオレのセカチューじゃないんだなぁー」
って気がしました。

私が「セカチューセカチューらしい部分はソコだ」と
勝手に残念に思っているだけなので
ソレとは別に
驚かされたり感動したりしたシーンがあるんですが
もちろんソレは書きませんので
これからご覧になる方はお楽しみに。