ーOOO-沈まぬ太陽の日々

 こないだからワタシがハマリっぱなしの白夜行。ドラマの時間になると、きちんとテレビの前に座って毎週ハラハラドキドキしながら見ております。
 この先どうなるかが気になるんだけど、でもドラマのストーリーを知るのがイヤで、テレビ誌を見ないで我慢してます。
 このドラマは原作を大きく改編しているので、原作を知っていても「そうきたかーっ!」って感じで大きく予想を裏切られる感じがすごく楽しい。んで逆に、この先のストーリーがどうなるかを勝手に予想して楽しむこともできる。
 そういう感じってDVDになってからだと味わえない。本放送で1週間に1話ずつ待たされる時間はもどかしいけれど、その待ってる時間の待ち遠しさやワクワク感を楽しんでおります。


 私が追っているのは事件ではなく、脚本家。
 枝を刈って登場人物やシーンを整理しながら、オリジナルなシーンをどんどんと盛り込んでいる。エンディングテーマ曲が流れ、スタッフロールが流れている最中も、ストーリーは進行している。
 時代を現代にわざわざずらすことによって、原作の中の事件を使わないですませたりしている。登場人物を整理している。すっきりとわかりやすくしている。
 そうやって作った時間に、どんどんとオリジナルストーリーをぶち込んでいる。


 先週の第6話目の時は実家で見てました。まー、こーいう殺伐としたドラマは、っつーかそもそも連ドラは我が家では見ないからアレだなーと思ってはいたものの、家族がツッコミを入れるのでうるさいったらありゃあしない。
「あー、あんな刺されてなかなか死なないなんておかしいよー」
 いや、まあ、確かにそうだけどサ。あのシーン、刺されてから渡部篤郎倒れなさすぎだよな。
「あー、最初なんか田中幸太郎死にそうだなーと思ってたけど、やっぱ死んだわー」
 …そーね。何にも知らないでいきなり第6話をみると、確かに死にそうなフラグが立ってましたな。上司の笹垣を急に気遣ったり、変に一人で張り込みしたりな。
 しかしねー、あのシーン、ワタシは非常にびっくりしたのですよ。なんでかっつーと、まず笹垣の部下の刑事は原作では死なないんだよね。
 それから、この先白夜行には私立探偵が出てくるはずなんだけど、キャストの中に名前がなかったので、ははあコレはこの先、田中幸太郎演じる刑事が私立探偵の役を演じるのかなーと勝手にワタシは思い込んでいたので。ここで死ぬとは思わなかったので、ホントびっくりした。


 そもそも、亮司(山田孝之)が松浦(渡部篤郎)を殺すシーンというのは原作の中に出てこないんだよね。漠然と亮司と雪穂が殺したんだなーというのはわかるんだけど。
 で、ドラマの中では、亮司は産みの親である実父を殺し、育ての親である松浦を殺した、ということをはっきりさせた。この改編によって、白夜行は「父親殺し」っつーかエディプスコンプレックスの話だったんだなーということが強調された。

エディプス‐コンプレックス【Oedipus complex】
〔心〕男の子供が無意識のうちに母親に愛着を持ち、自分と同性である父に敵意を抱く傾向。父と知らずに父を殺害し、生母と結婚したギリシア神話オイディプスにちなんでフロイトが提唱した用語。エレクトラ‐コンプレックス。
                          出典:広辞苑

 実父と松浦の二人は共に、亮司の最も愛するはずの母親と雪穂を奪っている*1
 生みの親と育ての親…二人の父親を殺す凶器はハサミだ。ハサミで父親を殺すということが男根の切除の暗喩だ…と思ったけど、コレは考え過ぎかな? そもそもフロイト精神分析の話はちょっとブッとんでいて、ワタシにとってはハイそうですか、とは受け入れ難い。まあ、ドラマの作劇上、悲劇性を高める要素として「父親殺し」というテーマが使われているのではないか? という話で。


 それから作劇上「ハサミで殺す」という行為が二回行われた、というのが重要で。物語の中でこのハサミがもう一度使われることがあるとしたら、それはどんな時になるだろうか?
 どんな物語の中でも、重要なテーマ・シーンは多くの場合、3回繰り返される。そして前の2回とは違い、3回目は悲劇として繰り返される。


 父親を乗り越えるために父親を殺した亮司。
 しかし彼は実父と同じように暴行をし、育ての親と同じように人を刺した。
 今の彼の中には、乗り越えたはずの父親の陰が色濃く残っているのだ。


(書きかけです)

*1:松浦が雪穂とするのはドラマオリジナル