ーOOO-アシタカの呪いと腱鞘炎

 いや、なに。
 もののけ姫に出てくるアシタカの呪いと、腱鞘炎は似てるよねーって話。


 以前ワタシは腱鞘炎になったことがある。
 原因は腕と指の酷使。和菓子屋も結構ハードな仕事なのであった。2週間ほど休職して治療に専念した。
 腱鞘炎は指や腕の酷使で発生するので、指先で仕事をする人に多い病気だ。キーボードを使うプログラマー、漫画家などのペンを使う仕事、などなどに多く発症する。
 で、指に繋がる筋肉が痛み、けいれんを起こす。時に、指が勝手に動き出したりする。
 腱鞘炎は、どうやって治すのか?
 マッサージしたり湿布を貼ったりしたのだが、結局のところ、「仕事を休む」コレにつきる。指や腕を動かさないこと。
 で、2週間休職している間、ワタシは退屈だった。もちろんゲームはダメだ。パチンコもダメだ。本を読めば腕が疲れてきて、痛み出す。何して時間をつぶせばいいのか? 途方にくれた。


 話がそれた。
 で、もののけ姫のアシタカの話だ。
 あの呪いは、腱鞘炎に似ている。
 剣や弓を持ってその腕を使おうとすれば、痛みだす。弓を構えたときに、腕がビクビクっと震え出す。コレ、腱鞘炎も腕に力が入るとビクビクっとしたりするのだ。
 剣や弓を使って腕を酷使するにつれ、症状はどんどん悪化していく。
 で、シシ神に首を返して、最終的にアシタカの呪いはどうなったか? というと、腕がピンク色になって終わっている。良化したのは間違いないが、治ったのかどうかは定かではない。
 腱鞘炎も似ていて、良くなることはあっても、キチンと治ることはない。ただ、腱鞘炎とのつきあい方が上手くなるだけだ。腕を酷使したときに「これ以上負担がかかると、腱鞘炎が悪化するな…」というのが自分でわかるようになる。その程度。同じ仕事を続けている限り、腱鞘炎と無縁な身体になることはないのだった。


 もののけ姫の制作当時、宮崎駿は腱鞘炎に苦しんでいた。体力の限界を感じ、「この一作が、最後になるかもしれない…」そう周囲に漏らしながら、作品作りを進めていた。
 ペンを持てば、勝手に指が震え出す。治療するにはペンを置いて仕事を辞めるしかない。
 普通の監督ならば、作品がシナリオ通り、自分の演出意図通りに作り上げられていくのをチェックすればよい。だが宮崎駿は作画も行い、すべてのシーンに修正をいれるような勢いでチェックも続けていた。絵が描けなくなれば、これを行うことが出来ない。
 腱鞘炎に苦しんでいた宮崎駿にとって、アシタカの呪いは非常にリアルなモノであったに違いない。


 さてこの当時、アニメ業界はコンピューターの導入が進んでいた。
 スタジオジブリにもコンピューターが導入され、様々な場面でCG作画が使われている。
 そのなかでも有名なのが、物語冒頭のタタリ神と、物語終盤のシシ神のシーンだろう。
 タタリ神は、黒いグネグネしたモノを全身にびっしりと絡みつけていて、これを全コマ手書きで書いていたのでは苦労したことだろう。
 さらにシシ神はグネグネするだけじゃなくて、向こう側が透き通っていて、身体の中に細かな光の粒が飛んでいたりする。これも、全コマ手書きで作画するのは無理だっただろう。
 ジブリにCG室が設立された頃、当初宮崎駿はコンピューターの導入に懐疑的だった、と言われている。なぜなら宮崎駿はたぶん、全部自分の手で線を引きたかったんだと思う。



 もののけ姫に話を戻す。
 で、最初のタタリ神だ。
 あれは、コンピューターの象徴だったんではないか?
 黒くてグネグネして巨大で、わけのわからないシステム。ドンドン迫ってきて、私たちの生活をおやかし、最後に絡め取られて呪いを受けてしまった。


 すったもんだあって、ラストのシシ神とのシーン。
 この最後のシシ神にまつわるシーンでは、アシタカは弓も剣も使わなくなっている。
 アシタカはシシ神の首を取り返すと、これをシシ神に返してやる。この瞬間、全身がシシ神のどろどろしたモノに包まれていく。
 このシーンは、宮崎駿がすべてをペンで勝負することを放棄し、CG作画の波に飲み込まれたんだけど、首根っこは捕まえているということの象徴である。
 シシ神に飲み込まれたあとのアシタカの手首は、呪いの色が薄くなっている。これは、CG作画に頼ったから、思ったよりも手首は悪化しなかったということだ。


 勝ったんだろうか? 負けたんだろうか?
 最後に緑は蘇り、木々は大きく育っていく。しかしあくまでもデジタル作画なので、なんだか樹に勢いがない。となりのトトロでの樹が生えてくるシーンと比べてみるが良い。
 で、アシタカは言うのだ。
 「ワタシはココに残る! タタラ場の人と共に暮らす!」
 腱鞘炎の呪いから解き放たれ、手首が思ったより悪くならなかったこと、そしてCG作画を手なづけて自信を持ったこと。
 だから最後のアシタカの台詞は、宮崎駿の「まだまだジブリに残って作品を作るぞー!」という宣言だったのだ。