ーOOO-神のみぞ知る

  
 ちいさな神社を散歩していたら、思いがけないほどたくさんの絵馬が目にとまった。
 何とはなしに絵馬を読んでみると、今の季節は受験祈願が多いようだった。なるほどなるほど。


 ところでそもそも、願い事を絵馬に書いて捧げる、というのはいつからはじまった風習なんだろうか?
 江戸時代? もっともっと前?
 平安時代、ひとつの集落は50戸程度のかたまりで「郷」と呼ばれていたらしい。(→ーOOO-郷に入りては
 「村」という集団は、いくつもの「郷」の集まりだったとすると、一つの村に十戸ぐらいの郷があったとして、一つの村は五百戸くらいか? このへん数字があやふやですが。


 んで、一つの村に、神社が一つだったと仮定して。
 そこに絵馬を奉納すれば、それを誰が書いたかバレちゃいますよね?
 たとえそこに名前を書かなかったとしても、そもそも読み書きが出来る人の数が限られるから人数がグッと絞り込まれちゃうし、筆跡を見れば誰が書いたかほぼ特定できちゃうはず。
 で、そんな誰が書いたかバレバレの絵馬に、「片思いが実りますように」とか書いてあれば、読んだ人には「ははあん、相手はあいつかな?」とかピンと来ちゃう、と。だって、人口が少ない村社会だから。
 そうすると、その「絵馬を書いた人」と「お相手」の恋を、村全員でそれとなく応援する態勢ができあがっちゃう、と。


 あるいは、「病気が治りますように」とか、周囲の人には言いにくいけれど、神にすがりたいような悩みがあったときに、それを絵馬に書く、と。
 そうすると、周囲の人がそれとなくサポートする体制ができあがる、と。


 そういう意味で、「絵馬に願をかける」と言う行為は、たしかに御利益がある有りがたい行為だったんではないだろうか。