ーOOO-あさりの逆襲

あさりが吹きこぼれた惨状

 いつも愉快な弊社のお話。
 先日、会社のオジサンが一家で潮干狩りに行ったらしく、大量のあさりを会社に持ってきた。
 「大漁だったので、みんなにおすそ分けだ」と言って、気前よくあさりをボーンと大量にくれた。ありがとうございます。
 ビニール袋にぎっしりとあさり。そして猛暑。帰り道はひやひやしながらも、それなりに寄り道などしつつ帰る。


 夜、自分の家に帰ってみれば、あさりはまだまだ元気。で、とりあえずあさりを煮てしまおうと思った。
 大量だと思っていたあさりだけれども、ウチのバカデカおなべで煮るにはちょっと少ない気も?
 そこで思い出したのが、一人前用のちいさな土鍋。
 そもそもコレを買ったのは、敬愛する池波正太郎大先生が「ちいさなナベで一人前用のナベをやるのもいいものだ」みたいなことを言ったからなのだった。そうだ、こんなとき時こそ小鍋立てにしよう。いかさま。*1


 小鍋にあさりをあけてみると、はかったかのようにピッタリすれすれの量。ちょうどいい、と思ったワタシは中火でクツクツとあさりを煮る。
 ふたをすると吹きこぼれるかもと思い、ふたをあけたまま煮る。
 ワタシはだまってじっと、あさりが煮えるところを見つめる。


 こうしてしげしげとあさりが煮えて行くところを見るのは初めてだ。まだまだあさりは元気。ぴゅうぴゅうと水など吹いている。
 それが、だんだんと怪しくなってくる。
 口のあけしめが、だんだんとパカパカ早くなってくる。熱さにあえいでいるかのようだ。また、あるものは殻をきっちりと閉じ、もう決して口を開かなくなった。
 なんだか悲しくなってくる。
 なんて事をしてるんだオレは、と反省する。どうすればいいんだ。あれこれと考え、「食べなければワタシも生きていけないのだ」という考えに至る。
 ならばせめて美味しく食べてやろう。残さずきれいに食べてやろう、それが生きとし生けるものの… てな都合のいいことを考える。
 あさりの小鍋立てだと、やはり味噌仕立てか。
 そこにザクザク切った厚切りネギを入れると根深汁というんじゃなかったか。
 あるいは、あさりをしょうゆとみりんで甘辛くして炊き込みご飯にすると、深川飯というんじゃなかったか。


 そんな事を考えているうちに、しゅうしゅうと湯気が立ち、灰汁が出てきたのでそれをすくってやろうかな、と思っているうちに、水面がどんどんとアワで膨らみ、盛り上がってくる。
 吹きこぼれる! と思ったワタシは、即座に火を止める。
 が、アワは止まらない。
 すごいいきおいで中心がごぼごぼとアワで膨らむ。
 土鍋だから鍋自体の熱が強く残っていて吹きこぼれているのかっ?
 その瞬間、ぐわーっと水面が盛り上がり、ドバドバと盛大に吹きこぼれた。
 あさりが煮えて口を開き始めたので、さらにどんどんと水面は膨らみつづけ、どうしようもなく吹きこぼれつづけた。


 大自然の脅威を肌で感じた一瞬だった。

ーOOO- more…

*1:池波作品によく出てくる単語。「全くその通りだ」あるいは「激しく同意」のような意味だろう、とワタシは勝手に思っている