ーOOO-わだばゴッホになる
なんだか急に「わだばゴッホになる」というフレーズがリフレインする。なぜ。
調べて見たら、このフレーズは青森県青森市出身の版画家の棟方志功が、その若き日にゴッホの絵を見て感銘を受け「わだばゴッホになる(わたしはゴッホになる)」と言った、ということらしい。
でも急に何かが気になる。なぜ。
思ったのは「わだば」というのは方言なんだけど、「ゴッホになる」は方言じゃない、ということ。
青森のほうだと、「ゴッホになる」は「ゴッホさなる」とか「ゴッホばなる」とか言うんじゃないだろうか。
ウチの父方の田舎は青森県十和田市で、だからワタシもそれなりに津軽っぽい言葉を知っている。ただ、十和田市と青森市はけっこう言葉が違うらしいのだけれど。
あと「わだば」っつーのもなんかわかんない。「わは」とか「わさ」とか言うんじゃないだろうか。ただこれこそ地域差かもしれない。「わだば」だとあんまりにもなんかナマリが強すぎない? っていうかこれを読んでいる人は「わは」も「わさ」も大差ないですね?
「わだば」と、きつくナマッた単語の後ろに「ゴッホになる」と標準語が置いてある、という部分に作為を感じる。実際に棟方志功が発した言葉がそのまま使われたんじゃなくって、いじられたのかなーという気がした。
だからなんなんだ。
なぜ急にそんなことが気になったんだ、オレ?