ーOOO-あれこれ考える。

「わだばゴッホになる」はひょっとしたら、「わだばゴッホさなる」というナマッた発言を上手に標準語とミックスさせたものではないか? という仮説を立てているワタクシ。この件についてちくちくと考える。
 青森では「自分」のことを「わ」と言ったり、「オラ」と言ったりもする。
 で、ここで「オラ」を使って
「オラ、ゴッホさなる」
と標記すると、あまりにも田舎者臭さが丸出しになる。それも世間知らずなイナカモノっぽい感じが出る。
「オラ」ではなく、「わだば」を使ったところがセンスあるなと感じる。
 さらに、「わだば」ではなく、標準語に直して
「わたしはゴッホになる」だと普通。印象が薄い。
「オレはゴッホになる」だと、野心的でギラギラした感じになる。イヤな奴っぽい。
 だから、「わだばゴッホさなる」というナマッた発言を、「わだばゴッホになる」と、上手に津軽弁+標準語に翻訳して、なおかつそれを棟方志功のキャッチコピー的なものとした人物がいるならば、それはすごい事だと思った。純朴な田舎の若者がゴッホの絵に感銘を受けた様子がありありとつたわる、すぐれたコピーだと思った。


 で、検証なんだけど、「わだばゴッホになる」が、一言一句たがわずに棟方志功が実際に発言している資料みたいなものってあるんだろうか?
 それはそれとして、いつもゆかいな弊社に在籍するパートのおばさんの中に、青森県青森市出身の津軽弁をネイティブとするヒトがいたので、ご意見をうかがうことに。
Q)「わだばゴッホになる」って、聞いたことありますか?
A)あるわよー。棟方志功でしょ?
Q)ああ、じゃあ話が早い。えっと、「わだば」の部分は方言なのに、後半の「ゴッホになる」って部分だけ、なんだか標準語の言葉遣いになっているみたいで、つながりが不自然だと思うんですけど…
A)あら、そんなことないわよ。あっちでもそういう言い方するわよ。
Q)んーと、「ゴッホになる」じゃなくって、「ゴッホさなる」とか「ゴッホばなる」とかの方が自然になまった感じになるとおもうんですけど。
A)んー? どうかな? そうとも言うかもしんないけど、って感じ。


 えーと、簡単な検証の結果「わだばゴッホになる」はワリと自然なナマりで、ネイティブがチェックしても作為的な部分は感じられない、と。
 と、いうことで、「わだばゴッホになる」は何物かの手によって発言をいじられた、というワタシの説は間違っていた、ということで。ええ。


 ふだん以上に意味の無い中身の無い記事となりましたことを反省しております。
 若干。