ーOOO-女神の憂鬱
ひさしぶりに「アッコにおまかせ!」を見た。
この日のニュースコーナーのテーマは、ホリエモンの事件についてだった。
ネタをひとしきり取り上げ終わったあと、和田アキ子は言った。
「ねえ、これ、面白いのかしら?」
スタジオの中に「は?」的な空気が流れた。
「この番組を見ているお客さんは、こういうニュースはとっくに見ていて、良く知っていると思うのよ。それをいまさら日曜日に取り上げて、これは面白いのかな? っていうか、このニュースを今さらあえて取り上げるのは、うちの番組らしいのかしら?」
「いや、みんながよく知っているニュースを、こういう形で取り上げるのは、うちの番組らしくて面白いと思いますよ」
なんかこんな会話をしていた。生本番中に。
うーん。
どうも和田さんの心の中には、「ひょっとして、この番組はマンネリじゃないか?」という焦りがあるんじゃないだろうか?
ワタシの個人的な意見を言わせてもらえれば、アッコにおまかせはマンネリだし、つまらないと思う。
で、和田さんは自分の番組がつまらないんじゃないかと疑っていて、実際つまらない番組になっていて、なのに周囲は「アッコさん、そんなことないですよ」と言うイエスマンばかりになっている。
そういう構図、気の毒な気がする。
話は飛ぶが、以前「スタアの恋」というドラマがあった。このドラマの中で藤原紀香が演じた主人公・桐島ヒカル子のことを思い出した。
ヒカル子はトップスター。
でも実は落ち目。
主演映画は客がガラガラ。だけど回りのスタッフは「今回の映画は大人気で大成功ですよ!」とみんなでウソをつくので、ヒカル子はそのことを知らずにいる。
トップスターの多忙で華やかで、そして孤独な生活を描いたドラマだった。
そして和田アキ子も、そういう「スタア」の一人なのではないだろうか。
身体のデカさ、強面、怪力。女性離れした彼女の外面的特徴は「ゴッドねえちゃん」というニックネームに結実する。
怖そう、乱暴そう…。そういうイメージを振り撒きながら、彼女は芸能界のスター街道をひた走る。
しかし、本当の彼女は怖い人、乱暴な人ではない。
テレビカメラの前で、そのようなキャラであることを求められ、そのようなリアクションを取り続ける「タレント」なのである。
和田アキ子に関する数々の伝説のたぐいは、芸人が自分でいま見てきたかのように話す「ネタ」「真っ赤なウソ」が多い。和田アキ子本人が話すことだって、事実に尾ひれがついた面白おかしい「ネタ」「ウソ」なことがある。
だって、それがテレビだから。
外面から来る強面なイメージから作り上げられたキャラクターとは別に、彼女は勉強家で読書家で、くすぐりに弱く涙もろい一面がある。
気が付けば芸能生活も長くなり、芸能界のドン的な存在になり、権力を握りつつある和田アキ子。
権力を握るということは、また一面、孤独であるということも言える。
自分の悩みを相談できる先輩・友達も少なくなっていく。
周囲にいる芸能人、スタッフたちは、もはやイエスマンばかりだ。
しかし、数字は残酷だ。アッコにおまかせの視聴率は上がっているのか? 下がっているのか? 「歌手・和田アキ子」としては、全く売れないCDも気にかかるだろう。
「本当は、自分の番組は面白くないのではないか?」
「歌手としての自分に、価値はないのではないか?」
その問いに答えてくれる者はいない。
権力もお金もあるのに満たされない思い。それが彼女をパチンコやお酒に駆り立てるのだった…。
とか書くと、和田アキ子で萌えたりしない?
しない?
あ、そう。
えと。んで今日のアッコにおまかせの話に戻って。
「このコーナー、面白いのかなぁ?」と生本番中に言っちゃうのはどうかしてると思う。
というか、そーいうことは企画の打ち合わせの段階でやるべき話だ。番組中に言うことじゃない。
しかし逆に言うと、本番前のコーナーの打ち合わせに和田アキ子はタッチしていない事が分かる。
タッチできないのか? タッチさせてもらえないのか?
自分の名前を冠した番組なのに、なんだか気の毒だ。
もうちょっと掘り下げると、アッコにおまかせの中での和田アキ子の発言は、打ち合わせなしのガチンコな発言であると言える。
これは、コーナー進行中のアナウンサーがオタオタすることからも分かる。
こういう「野放し」な「ガチンコ」な和田アキ子の発言を引き出すために、あえて放送前に打ち合わせをしていないのだとすると、これはなかなかすばらしい舞台設定だ。
生放送は、次の瞬間に何が起こるか分からないハプニング性こそが命なのだから。