ーOOO-「オトナ」のウイスキー、余市1987
今年、世界的なウイスキーのコンクールで、2つのジャパニーズウイスキーが金賞に輝きました。
ひとつはサントリー「響30年」。
もうひとつは、ニッカウヰスキーの「シングルモルト余市1987」です。
特にニッカの余市1987は、栄えあるシングルモルトウイスキー賞に輝きました。これは例えて言うなら、ウイスキーの世界におけるアカデミー賞の主演男優賞や作品賞を獲得したようなものなのです。
「日本のウイスキーが、世界一になった!」
このニュースは、世界に驚きを持って迎えられることになりました。
さて、この世界一に選ばれたウイスキー「シングルモルト余市1987」は、どのようにして作られたのでしょうか?
この商品を企画開発したのはニッカのチーフブレンダー、久光哲司さん。
味の責任者と言える立場の久光さんですが、「自分一人ではこの商品を産み出すことは出来なかった」と語ります。
そもそも久光さんは意外なことに、もともと「ブレンダーになりたかった」というわけではなくて、「お酒が好きだからニッカを受験しただけだった」のだそうです。
ニッカの入社試験には筆記試験と、テイスティングがありました。この試験に見事合格した久光さんは、入社後に営業職などを担当したのだそうですが、テイスティングの成績が特に素晴らしかったため、後にブレンダー室に配属となります。
そして今ではブレンダー室を統括するチーフブレンダーという重職に就いています。
ブレンダーという仕事の内容は、大きく分けて2つあります。
1つは、製品の味が変わらないように、一定に保ち続けること。
そしてもう1つは、新製品を作ることです。
今回の「シングルモルト余市」シリーズは、「余市らしいウイスキーを作りたい」、そして「20年熟成…ハタチの、オトナのウイスキーを作りたい」という2つの想いから誕生したのだそうです。
余市らしいウイスキーを作りたい
では、「余市らしさ」とは何でしょう?
それにはまず、ニッカの創業者・竹鶴政孝の話から始めなければなりません。
日本で本物のスコッチウイスキーを作りたいという思いから、竹鶴はスコットランドに渡り、ウイスキー作りの修行をします。勉強熱心だった竹鶴は、蒸溜釜の構造を知りたい一心で、皆が嫌がる蒸溜釜の内部の掃除を買って出て、各部分の構造やサイズをノートに書き記したこともあったそうです。
帰国した後に竹鶴は、気候や風土がスコットランドに良く似ている北海道余市に醸造所を開き、ここに本場スコットランドと同じ石炭釜を設置することにしました。
石炭釜は、石炭で加熱するという構造上、釜全体を均一で一定の温度に保ちつづけることは不可能です。
その火力調節は職人のさじ加減。経験と勘がモノを言います。そして、火力を一定に保つことが出来ないが故にバラツキが生じ、石炭釜は味の多様さを産み出します。
しかし使いこなすことが難しい石炭釜は、やがて火力の調節が簡単な蒸気釜やガス釜に取って代わられ、本場スコットランドでも石炭釜を使う蒸留所は無くなってしまいました。
今となっては石炭釜を使うのは世界で唯一、余市蒸留所だけなのです。
先端の形状が独特なストレート型のポットスチルは、他の種類の蒸留装置よりも、蒸留された香りや成分を強く残す釜です。
原酒の持つ力強い香り。これもまた、余市らしさの一つなのです。
20年熟成…ハタチの、オトナのウイスキー
「シングルモルト余市」シリーズは、「20年熟成…ハタチの、オトナのウイスキー」をテーマとして開発されました。
ところでニッカの「余市」シリーズには、熟成20年の「余市20年」という商品もあります。
この二つ、いったいどう違うのでしょうか?
「余市20年」のように、普通のウイスキーの「20年もの」や「熟成20年」というのは、味わいに深みを出すために、20年以上熟成された原酒も混ぜるのだそうです。
しかしこの「シングルモルト余市1987」では、1987年に仕込んだウイスキー「だけ」を使って作られています。それも、出荷が11月なので1987年12月の原酒は満20年に達していないからと、使っていないそうです。
20年…「ハタチの、オトナのウイスキー」にこだわって作られているのです。
シングルモルト余市シリーズは、毎年毎年味が違うウイスキーなのです。
久光さんがウイスキーを作るときは、やみくもに原酒を混ぜるわけではなくて、まずはイメージになるフレーズやキーワードを思いうかべるのだそうです。
シングルモルト余市1987のイメージは、「優雅で気品ある、余市らしい力強さ」。
じつは、1987年は久光さんに娘がうまれた年。それから20年、久光さんのお嬢さんは今年成人式を迎えるのです。
優雅で、気品ある娘に育って欲しい。
久光さんはそんな想いを込めて、イメージを浮かべたのだそうです。
久光さんはシングルモルト余市1987をブレンドするにあたり、1987年に仕込まれた数多くの樽の中から、わずかに4種類10本の樽を選び出しました。
シェリー樽で仕込まれたウイスキーは華やかになります。しかし、入れすぎると媚びたようになって、やや下品になってしまうので、抑え目に使います。
ピート香は、出過ぎるとスモーキーで薬のような香りになります。かといって、全く使わないのも物足りません。ピート香をほんのりと効かせてやることで、シェリーの香りが引き立ち、味わいに奥深さがでるのです。
それぞれの個性が美しい和音を奏でるようになるまで、ブレンドは繰り返されます。
アルコール度数は樽から出した度数と同じ、約54度。
通常は40度程度のウイスキーが多く、また40度が飲みやすいとされているので、余市1987のアルコール度数は強めです。
しかし、アルコールは成分を溶かし込む溶媒の役割を持っています。アルコール度数が高ければ、香りや味わいを溶け込ませる力が高いのです。度数を薄めてしまえば、せっかく20年かけて溶け込んできた様々な香りや味が、溶け込めなくなって薄まってしまいます。
原酒の持つ力強い味わいを生かすこと、それは余市らしさを生かすことにもつながるのです。
オトナになったウイスキー
こうして作られたシングルモルト余市1987は、世界的なウイスキーの賞であるウイスキーアワードの、栄えあるシングルモルトウイスキー賞に輝きました。
これは例えて言うなら、ウイスキーの世界におけるアカデミー賞の主演男優賞や作品賞を獲得したようなものなのです。
そして今回の受賞は偶然ではありません。前年にはシングルモルト余市1986が、グランプリではありませんがウイスキーアワードを受賞しているのです。
「本物のスコッチウイスキーを日本で作りたい」 というニッカの創業者、竹鶴の想いは、ここに実を結びました。
これは、日本のウイスキーが世界と肩を並べることが出来るようになった、つまり日本のウイスキー作りが「オトナになった」と言えるのではないでしょうか。
来年も新しい味の余市が「成人」することでしょう。
久光さんは、どんなキーワードで、どんな思いを込めるのでしょうか?
来年のウイスキーアワードに向けて、新しいチャレンジがはじまっているのです。
そして久光さんが作っているのは、「シングルモルト余市」シリーズだけではありません。新しい「原酒」の開発も始まっています。
配合や火加減、樽の木の種類などでガラリと違った味の原酒が生まれます。10年後、20年後に一体どんな味のウイスキーになるのかを模索しています。
20年後のブレンダーに使ってもらえるような、未来のウイスキー。
スコッチウイスキーの伝統を守りながら、新たな挑戦は続いているのです。
久光さんは、「自分一人ではこの商品を産み出すことは出来なかった」と語りました。
ウイスキーは一人で作ることが出来ません。
昔から伝えられてきた技術の積み重ね。それらを絶やさず伝えてきた職人達。20年前に未来を見据えて原酒を仕込んだ職人やブレンダー。みんなの力に支えられてウイスキーを作っているのです、と久光さんは語ります。
「シングルモルト余市1987」が世界一を受賞したときは、久光さんはニッカの創業者・竹鶴政孝のお墓に報告に行ったのだそうです。
いま久光さんは、社員が一丸となって製品を作り、お客様に商品を届けるという「商品を作るメーカーという仕事の喜び」を感じているそうです。
ところで久光さんは、この自分で作った「シングルモルト余市1987」を、発売日には普通のお客さんと同じようにインターネットで予約して、ご自分でも1本買ったのだとか。
そして手に入れたウイスキーを、20歳になったお嬢さんの成人式にプレゼントしたのだそうです。
しかし、お嬢さんはお酒に興味がなく、せっかく買ったウイスキーも喜ばれず、家の隅の方に追いやられてしまいました、と久光さんは笑います。
でも、お嬢さんはまだ二十歳、ようやくお酒を飲める年齢になったばかりです。
いつかウイスキーの味がわかるようなオトナになって、お父さんが作った「シングルモルト余市1987」に込められた想いを味わうときが来るのではないでしょうか。
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