ーOOO-セラピストさんに聞いてみよう

 こないだの月曜日は、「ブロガー向け心理療法入門」というイベントに参加してきたですよ。

 今回の講師はいとうしんすけ先生。(先生のプロフィールはこちら
心理療法入門」というタイトルで身構えてしまいますね。だけど今回はほんのさわりということで、心理療法に関する簡単な説明と、実際にワークをやってみました。


 ワークの内容は、

  • 1.Aさんの話をBさんが聞く(2分)
    • Bさんは意見や助言や解釈はしないこと
    • メモをとらないこと
    • Bさんは「全身を耳にして話を聞く」イメージで
  • 2.Bさんは、いま聞いた話を要約してAさんに話す(1分)
    • 要約の中に意見や助言や解釈は入れないこと
  • 3.それを聞いたAさんが、Bさんに感想を述べる(1分)

 …と、こういった感じのワークを実際にやってみました。
 ワタシは今回隣の席の方に、最近の悩みというかモヤモヤした気持ちを語ってみたのですが、それを要約して返されたら「うわ!なんか小さいことで悩んでた!」と思えて、なんだかスッキリしました。
 逆にワタシが隣の方の話を聞いたあと要約して返したら、隣の席の方は「最近こんなにキチンと自分の話を聞いてもらった事ってなかったので、すごくうれしかったです」とおっしゃってました。


 「解決はしてないんだけど、話したらスッキリしちゃった」という気分や、「きちんと話を聞いてもらえるとうれしい」ということを、身をもって感じました。
 逆に、自分がふだんはいかにヒトの話を聞いてないかということも痛感しました。
 意見や助言や解釈をしようとするということは、アタマの中で「次に何を言おうかな…」って考えてるっていうことで、相手の話を聞いているようで聞いていない状態なんですな。

精神科的には「愛」ってなに?

 2時間ほど講義を受けて、そのあと懇親会と言うことで参加者と先生でちょっと飲んできました。
 ワタシのすぐ横にいとう先生が座ったので、あれこれお話が聞けて大変有意義だったです。
 ある参加者の方が
「精神科的には「愛」って何なんでしょう、っていうか、どういう状態なんでしょうね?」
と質問したんですが、いとう先生は
「loveっていう単語を「愛」って訳しちゃたのが問題なんじゃないかと思うねぇ。キリスト教という一神教の国のloveっていう概念は、日本の風土では理解しにくいんじゃないかと思うねぇ」
「じゃあ、どういう風に?」
「うん、「愛」っていうのは「大事にする」っていうコトバにしたほうが、しっくりくるんじゃないかと思うねぇ」
 ここでワタシはヒザポンですよ。
 以前から思ってたんですが、恋人同士の間に「愛」っていうものがあるけれど、家族の間にも「家族愛」っていうものがあるし、「人類愛」って言うコトバもあるし、そう考えると「愛」っていう概念はけっこう広い範囲をカバーしてるなぁと思ってたんです。で、ここで「家族愛」を「家族を大事にする」と置き換えると非常にしっくり来るなぁ、と思ったんです。
 他の参加者の方が「うーん、でもなんか、しっくりこないっていうか…」というと
「男性と女性ではまたとらえ方が違って…」と先生は話を進めていったんだけど、なんかずいぶん飲んでいたので忘れてしまいました。


 すごくアタマのいい人とお酒を飲んでいて、ふっと疑問が出るとスッと答えが返ってくる、そういう貴重な時間を過ごしました。


 「心理学入門」ということではあったけれど、「いとう先生は面白い先生だったなー」という印象も強く残りました。
 「なんだか楽しかったなぁ、スッキリしたなぁ」と感じるのは、やはり先生がセラピストだからなのだろうか? と思ったりしました。