ーOOO-箱根駅伝を、知っていますか? … 映画「風が強く吹いている」


 映画「風が強く吹いている」の試写会に行ってきたですよ。
 ちなみにこれはAMNさんとCybrBuzzさんのブロガーイベントでした。で、この記事中の映画の感想は私個人の主観によるものであります。
 映画 『風が強く吹いている』 10月31日(土)全国ロードショー

 日本人のマラソン熱というのは相当のモノです。
 東京マラソン2010を例に取れば、フルマラソンは3万2000人の定員に対し約27万人の応募があり、その倍率は8.5倍にもなります。
 またレースが始まれば沿道は応援で埋め尽くされ、その応援人数は114万人に達したとか(2008年の例)。これほど多くの人が応援に来るマラソン大会というのは、世界的にも珍しいようです。
 この日本人のマラソン好き、陸上熱のようなものはかなり昔からあったようです。
 日本人が最初にオリンピックに出場した競技は、「100m走」と「フルマラソン」だったって、知ってましたか?


 日本人最初のオリンピック選手、金栗四三
 1911年、金栗はオリンピックのフルマラソン日本代表選考会に出場し、当時の世界記録を27分も縮める大記録を出して、日本人初のオリンピック選手となりました。
 そして迎えた1912年のストックホルムオリンピック
 当日は気温40度を超える猛暑。その過酷さは、レース中に死者が出るほどでした。
 あまりの暑さに金栗は、レースの途中で日射病で意識を失って気絶。
 彼は近くの農家で介抱されました。
 金栗が目を覚ましたのは、翌日の朝のこと。すでに全ての競技は終わっていて、陸上競技場のゲートは閉じていました。失意の内に金栗は帰国の途につきました。
 あまりにも過酷な気象条件、路面状況。ぶ厚い世界の壁を感じた金栗は、帰国した後「世界に通用するランナーを育成したい」との思いから、「オリンピックで戦える日本の長距離ランナーを数多く育てるためには、駅伝競走が最適だ」と熱弁をふるいます。
 これがきっかけとなって生まれたのが「箱根駅伝」なのです。


 箱根駅伝は、毎年1月2日と3日に行われる学生長距離界最大の駅伝競走です。そのコースは東京大手町の読売新聞東京本社前から、箱根芦ノ湖間を往路5区間(108.0Km)、復路5区間(109.9Km)の合計10区間(217.9Km)。
 この10区間を10人のランナーが1本の襷をつなぐために走り続けるのです。


 2009年の箱根駅伝の視聴率は、往路復路合わせ平均で27%。朝8時から午後2時までの長時間番組であるにもかかわらず、この視聴率。箱根駅伝はすっかり正月の風物詩となった感がありますね。
 その魅力はどこから来るのでしょうか?
 選手達がひたむきに走っている姿、ただそれだけで胸が熱くなります。
 駅伝ならではの醍醐味として「1本の襷を途切れずにつなぐことが出来るか?」というのもありますね。駅伝は一人で走る個人競技であると同時に、襷をつなぐ仲間達がいる団体競技でもある。このことが、毎年思いがけないドラマを生み出します。
 そして彼らは大学生。4年で卒業する選手達。だから毎年同じメンバーで出場というわけにはいきません。同じ大学が優勝し続けるのは難しい、このことが毎年のレースに緊迫感をもたらします。
 あと、そんな難しいことを考えずに、なんとなーくぼんやりと箱根や富士山、江ノ島などの風景を眺めているのも正月っぽくって楽しいものですよね。
 ちなみに私は、応援するチームやひいきのチームはありません。
 応援するときは「赤勝て白勝て」の心意気で、「どっちも負けて欲しくないなぁ」と思いながら応援しています。出場する全部の選手に「頑張って―」と手を振りたい。頑張った選手には「頑張ったね!」と声をかけてあげたいし、上手くいかなかった選手にも「頑張ったね!」と声をかけてあげたい。


 そんな箱根駅伝を舞台にした三浦しおんの小説「風が強く吹いている」が、このたび映画化されました。

  
STORY:故郷でエリートランナーへの道をあきらめたハイジと、走る場を無くした天才ランナー、カケル。そして陸上経験のない素人が、10人で<箱根駅伝>出場を目指す…。

 これは、陸上部として一つ屋根の下、同じ釜の飯を食う10人の男達の物語です。バカなことをしたり、ケンカをしたりしながら、箱根駅伝という大きな目標に向かって彼らは走り続けます。
 映画に登場するのはあくまでも10人の選手たちが中心です。女性はほとんど出てきませんし、チームの監督でさえほとんど画面に姿を現しません。しかしこれは、余計な要素を一切切り詰め、10人の選手それぞれの成長を丹念に描き出すことにこの映画が注力しているから、なのです。
 最初は素人だった陸上部メンバーが、練習を重ねていくにつれ…撮影が進んでいくにつれ、身体が絞れていくのが素晴らしいです。大会当日は身体だけでなく、顔つきまで変わっています。


 この映画は、テレビで見る箱根駅伝とも違って、あるチームの箱根駅伝出場への足取りを追いかける密着取材を見ているような感覚もあります。
 大学の駅伝部は1年間どんなことをしているのか? 箱根駅伝の予選会はどんなものなのか? というのが描かれています。
 映画の中の箱根駅伝のシーンでは、実際のコースを使って撮影が行われています。
 この映画の撮影には関東学生陸上競技連盟読売新聞社も協力していて、箱根駅伝の第85回大会が実景として撮影されました。またこのほかにも、延べ5万人ものエキストラを動員してレースシーンの撮影が行われたそうです。


 映画の中では、こんな台詞がありました。

 「ランナーにとって一番大切なことは何だと思う?」
 「…速さじゃないのか?」
 「オレは、『強さ』だと思う」

 ランナーに大事な『強さ』。それはいったい何だろう?
 プレッシャーに負けない強さ。
 勝負強さ。粘り強さ。
 あきらめないこと。
 場合によっては、あきらめることだって強さなのかもしれません。
 そうして選手達は各自の持てる『強さ』を武器に、箱根駅伝を戦っていくのです。
 映画の中では主人公達だけでなく、ライバル達の姿も描かれています。ライバル校の選手にだって、熱い血が流れている。彼らには彼らの物語が存在します。
 同じように、本当の箱根駅伝の選手達にも一人一人の物語、チームの物語が流れているのです。
 そんなことを想像しながら今度のお正月も、出場する全部の選手に「頑張って―」と手を振りたい、そんなことを思いました。


 それから、「ランナーにとって一番大切なことは、速さじゃなくて、『強さ』だ」というのは、市民ランナーにも力強い言葉ですよね。
 健康のために歩くようなスピードでジョギングをしている人も。
 ふうふういいながらゴールする人も。
 ランナーは速さじゃなくて、あきらめない『強さ』や続ける『強さ』が大事なんだ、と。


 ところで冒頭で紹介した箱根駅伝の父・金栗四三はその後、1976年に行われたストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に招待されました。
 当時のストックホルムオリンピックでは、金栗は「棄権」ではなく「競技中に失踪し行方不明」として扱われていて、現地では"消えた日本人"と呼ばれるほど有名になっていたのです。そして金栗の存命を知ったオリンピック委員会は彼を招待し、記念式典でゴールさせることにしたのです。
 招待を受けた金栗はストックホルムへ赴き、競技場内に用意されたゴールテープを切りました。
 記録は54年8ヶ月6日5時間32分20秒3。
 これは世界一遅いマラソン記録であり、今後もこの記録が破られる事は無いだろうと言われています。
 ゴールの後に金栗は「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とスピーチしました。
 そして、オリンピック委員会はこう宣言しました。
「これをもってストックホルムオリンピックの全競技日程を終了する」と。
 金栗の記録は「世界で最も遅いフルマラソン」の世界記録となりました。
 しかしその54年の間に、瀬古が、円谷が…。箱根駅伝のOBが次々とオリンピックに挑戦し、輝かしい成績を上げてきました。
 世界で最も遅いフルマラソンの世界記録保持者・金栗四三は、長い長いゴールまでの54年間に箱根駅伝の父となり、日本マラソン界の父ともなったのでした。