ーOOO-虫歯と味覚

 ふと、ひどい虫歯になって歯の神経を抜いた時のことを思い出した。
 あまりにも虫歯がひどかったから、虫歯になった部分の周囲の神経が痛み出していた。だから治療のために、その歯の神経を抜かざるを得なかったのだ。


 あの夜、晩ご飯に何を食べたのかは思い出せない。
 思い出せないほどありふれた、いつもと同じようなご飯と味噌汁だったのではなかったか。
 だけど、今でもハッキリと覚えているのは、ご飯が美味しくなかった、ということだ。
 歯の治療で麻酔が効いていたから、というわけではない。治療薬の味が口に広がったから、というわけでもなかった。
 味が、薄れて感じられたのだ。
 それは次の日の朝ごはんも、昼も、夜も。その次の日もそうだった。
 そこでワタシは考えた。
 ご飯が美味しくないのは、歯の神経を抜いたからではないか、と。


 味というのは、舌で感じる部分だけではなく、香りも味の内に入る物らしい。
 なにしろ風味という言葉があるくらいだ。カゼをひいた時に食事が美味しくないのは、鼻が悪くなって香りが感じられなくなるから、らしい。


 同じように、歯の中の神経というのも、味を感じる上では大事な機関なのではないか。
 柔らかい物を食べた時、堅い物を食べた時。歯ごたえを感じている。
 暖かい物を食べた時、冷たい物を食べた時。舌だけでなく歯で温度を感じている。
 そういう要素もきっと、食事を味わう上で大事な要素なのだろう。


 よく、タバコをやめた人が、「味がよくわかるようになって、何を食べても美味しくってさぁ」なんて言うことがある。タバコを吸うことで味覚に薄い膜のようなものが掛かっていたのが、急に晴れたのだろう。
 じゃぁ、タバコを吸っている間、その人は味オンチだったんだろうか?
 そういうわけではないだろう。
 味覚の感じ方がちょっと弱いだけで、それが「美味しい/美味しくない」という判断はハッキリわかっているはずだ。
 タバコをやめたことで、味覚の薄い膜が消え、感度が高くなったのだ。


 だけど、虫歯で神経を抜いた場合は違う。
 自分はまだまだ「美味しい/美味しくない」の判断基準はしっかりしているつもりだ。
 ただ、味の感度は薄れたままだ。美味しい物を食べた時に「美味しい!」と思う感度は、いまでも薄くなったままなのだと思う。


 きっとそういうふうに、自分は年をとりながらちょっとずつ「健康」とか「普通」とかから遠ざかっていくのだなぁと、漠然と感じている。