ーOOO-歩いたのでは届かない … 神戸マラソン2012参加記(3/4)

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 折り返し点を超え、たんたんと同じペースで走るワタシ。
 20km地点の通過タイムは2時間40分。ただしスタート地点通過の15分のロスがあるから、それを引くと20kmを2時間25分。
 このペースは、先日走った猪苗代湖ハーフマラソンのタイムと同等で、自分的にはがんばっているのですが、フルマラソンのランナーとしては物足りないタイムではあります。


 このときワタシは「トイレをどうしようか?」と考えていました。
 朝8時にトイレを済ませて、現在は昼の12時。
 残りは20km、2時間半以上走らなくてはなりません。このさき、まったくトイレに行かずに我慢するのは現実的ではありません。
 ということで、仮設トイレに並びました。
 何しろ参加者2万人のマラソン大会なので、トイレもやたら行列します。
 出すものを出してスッキリしたら体が軽くなって、走りやすくなるだろうか? 立ち止まって休憩できるから、ちょっと休めるな… と思っていたのは最初のうちだけ。
 汗でぬれた体に海風が吹き付け、体が冷えてきます。
 ストレッチしたり足踏みしたりしていたのですが、それでも冷えてきて、体が固くなりました。
 この行列で、15分も時間をロスしてしまいました。


 コースに戻ったときは周りの人が少なくなっていて、景色は閑散としていました。
 わずかなタイムロスから、マラソンの行列から置いてけぼりを食ってしまったようでした。
 さあ、走ろう。
 しかし、思うようには走れない。
 とうとうこのあたりから、身体が言うことを聞かなくなってきました。
 
 マラソンの集団から置いていかれたことで、体を包んでいた追い風が止んだ。
 集団の作り上げた熱気が消え失せ、空気はひんやりとしてきた。
 一人で走っても、なかなか体が温まらない。
 腕時計に目をやると、制限時間まであと4時間ありました。
 ならばここから歩き通しても、ゴールにたどり着けるはず。ふだんだったら歩いていても時速6kmは堅いのだし、時速5kmでもゴールにたどり着けるのだ。
 ココロを落ち着かせて、自信を持って歩きました。
 調子がよくなってきたら走り、疲れたら歩き。
 とにかく一歩一歩、ゴールに近づきます。


 反対車線を走るヒトの姿はすっかりまばらになっていて、ほとんど誰も走っていません。
 すると遠くから白バイが、その後ろから「収容」と書かれたバスの列がのろのろと近づいて来るのが見えました。
 あれが、この長い長い行列の、最後尾だ。
 
 バスの前には、ひとりのおじいちゃん。
 すっかり疲れ切ってうなだれていて、腕が振れなくなり、ヒザさえ上がらなくなっていて、つま先でヨチヨチとペンギンのようになって走っていました。
 そこに、バスから降りてきた係員の人が走り寄っていって「このままのスピードでは、次の関門の閉鎖時刻に間に合いませんので、…」そんな会話が聞こえてくる。
 このマラソン大会には随所に関門が設けてあって、制限時間内に関門をクリアできなければ、強制的に失格処分を受け、競技中止になるのです。
 マラソンの制限時間が、目に見える形で後ろから迫ってきていました。


 25kmを越えたあたりで、街は工場地帯に入ったようでした。
 休日の工業地帯には、人は少ないものです。
 応援の声が聞こえなくなり、周りを走る人も少なくなり、ワタシはただ淡々と足を進めていきます。


 このころ、体に異変が起こり始めます。
 喉の奥が、やけにヒリヒリする。
 喉が乾いたのか?と思って給水場で水をガブガブ飲んだら、お腹の中でタポタポいいました。
 体が水を吸収しなくなってきました。
 やがて喉だけじゃなくて、胃の中まで焼けるような感じがしてきました。
 胸焼けだろうか?
 ひょっとしたら空腹なんだろうか?
 給水所でもらったバナナだけじゃ足りないのだろうか?
 コースをそれて、コンビニに飛び込んで、おにぎりを買って食べてみた。
 けれど、胃の中でうまくこなれない。
 なんだか胃がもたれてきた。
 腕の筋肉がピリピリして、親指が痙攣する。
 足の裏が痛い。
 わきの下や股間がこすれて痛い。
 今までに感じたことのない様々な痛み、違和感。
 全身は次々にエラーメッセージを出力する。
 自分の体に何が起こっているのか?
 脳みそはソレを上手に判断できない。
 ハーフマラソンの時には感じたことのない苦しさ。
 「35kmの壁」はまだまだ先なのに、もうこんなにツラいのか。
 見えない35kmの壁が恐ろしくなる。
 体が発する警告を無視して、前へ、前へ進む。


 ふとGPS腕時計に目をやると、もはや歩いているときには時速3キロしか出ていませんでした。
 「歩いていてもゴールできる」だなんて、とんでもない!
 力を使い果たしているから、もはや普通に歩くことができないのだ。
 歩いたのではゴールに届かない!
 ここから体にむち打って、必死で走りました。
 GPS腕時計を見ても、走っているのに時速6kmくらいしか出ていません。
 観客の人から見れば歩くようなスピードかもしれませんが、必死に走り続けたのです。


 
 20km地点から30km地点までの区間タイムは、1時間45分でした。


 このころになると、周りのみんなもボロボロになっています。
 道路で立ち止まってストレッチをしている人がたくさんいました。
 痛み止めのスプレーをするヒトが増えて、道路がトクホン臭くなりました。
 ウサギの着ぐるみを着て走っている人が、ガックリと首をうなだれて、着ぐるみの足を引きずりながら走っていました。
 足の筋肉の力を使い果たしたのか、気の毒なぐらいガニマタになって、歩幅が小さくなって走っている女の子がいました。


 そうだ、マラソンは「こけし」だった。
 「こ」は股関節。
 「け」は肩胛骨。
 「し」は姿勢。
 アタマは空っぽになり、マラソンに関する付け焼き刃の知識は吹っ飛んでしまっていたけれど、ただ「こけし」という三文字は覚えやすく、しっかりアタマに残っていて、ピンチになるとコケシが頭のなかにあらわれて、助けてくれた。
 とにかく姿勢だ。ガニマタで走ってはいけない。股関節にも力を入れて、きちんと走ろう。そう意識した。
 体中の筋肉が言うことを聞かなくなってくる。
 痛い辛い苦しい。
 物言わぬ筋肉から発せられるエラーメッセージ。
 かろうじて使える筋肉をさぐり、たぐりよせ。
 自分の走り方をどんどん修正しながら、前に、前に。


 ところで、このあたりは人の少ないゾーンだったけれど、誰もいないわけではありませんでした。
 私設エイドステーションを作って、緑茶をふるまってくれた人がいました。お茶のさっぱりした苦みが、気分転換になりました。ありがとう。
 背中のゼッケンに書いてあるワタシの名前を呼んで、応援してくれた人がいました。不意に名前を呼んでもらって、あのときはとてもうれしかったです。ありがとう。
 それにワタシには、ネットの向こうから、ツイッターで応援してくれた人たちがいました。本当にあのときは、みんなどうもありがとう。


 途中の給水ポイントには、薄皮あんぱんが置いてありました。
 一口食べたら、あんこがぎっしり詰まっていました。
 うわあ、ズルいなぁ、ふだんスーパーで売ってる薄皮あんパンはスカスカで、こんなにあんこが入ってないじゃんさぁ。
 だけど、やっぱり中身がギッシリの薄皮あんパンはうれしかったし、あんこの甘みで元気が出てきちゃったので、つくづく自分は和菓子屋のあんこの職人なんだなーと思って、笑ってしまいました。


 コースは神戸駅に近づき、ふたたび賑やかな繁華街へと戻ってきました。
 そしてだんだんと近づいてくる、まだ見ぬ35kmの壁への不安。
 交差点を曲がったとき、それは不意に立ちはだかりました。

 ここからマラソンコースは、神戸空港へと向かう自動車専用道路の浜手バイパスに進入していきます。
 そこにあるのは、コースの中で最も長くてキツい登り坂。
 150mの距離で、10mも登らなければなりません。
 ここまで走ってきた他の人たちも、この急坂の手前では思わず立ち止まってしまいました。


 35kmの壁は、現実的な壁となって、ワタシたちの前に分厚く立ちはだかったのでした。


 → 続く
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