ーOOO-世界ケンカ旅

 読むモノに、飢えていた。
 意外な本との出会いを求め、遠い街に行き、その街で一番の本屋に潜入。本棚を右に左に、くまなくサーチ。
 そのとき文庫の棚が「キラリ」と光った!
「クックック、オレだ、オレを読め!」
 それが、マス大山との出会いであった。
 
 マス大山と呼ばれた男 … 大山倍逹。
 空手の極真会館創始者にして、総裁と呼ばれた男。
 ビール瓶に水平チョップして、瓶の首だけを吹き飛ばす男。
 素手で牛を殺した男。
 自分が彼について知っている事は、この程度だ。


 はたしていったい大山倍逹とは、どんな男なのか?
 興味をもちながら1ページ目をめくると、いきなり舞台はシカゴなのであった。それも、東京からハワイを経てロスへ、その翌日にはもうシカゴ。書き出しからわずか5行で、世界をまたにかけちゃっているのである。
 そして、まどろっこしい自己紹介なんぞ「抜き」なんである。この本の読者は、もう十分に大山倍逹を知っている、という前提。とにかく読者は、大山倍逹の一世一代の大勝負を、そして冒険譚を欲しているのだ。
 世界旅行が庶民の手には届かなかった時代のシカゴ。一瞬、華やかな旅を想像するが、ホテルの一室でポツンとすごしている時の妙にうつろな気持ちを、マス大山はこう書いている。

修業時代に、1年半ばかり山にこもったことのある私は、孤独には馴れていた。だが、生まれてはじめての、言葉もろくに通じない外国へ放り出された感じは、日本の山の中でのひとりぼっちの夜の感じと、まるっきり違っていた。

 なんだか読ませる文章で、ぐいっと引き込まれる私。
 そこへ、通訳の男がやってくる。大山倍逹がホッとするのもつかのま、通訳の男はこう言うのだ。

「ふたりとも、今夜から出場するんだ、いいね?」

 そう、これは物見遊山の旅なんかでは無い。カラテの強さを世界に見せるための旅だったのだ。
 その舞台はプロレスの試合の前座扱いにすぎない。羽織に袴の純日本風のスタイルでリングに立ち、とりあえず今夜やってみてマズければ、明日の便で東京に帰らなければならない、という。
 大山倍逹は、いきなり後が無い勝負に追いやられるんである。
 そして「空手を見せるのに何か必要なものは?」と聞かれ、木の板とレンガを用意するように頼み、リングに上がる決意を固めるんである。
 ところでここまでで、たったの3ページなのだ!
 おお、なんだかジェットコースターな展開では無いか!


 観客席からは「キル・ザ・ジャップ!」とヤジが飛び、リングに上がればレスラーに勝負を挑まれる。
 絶体絶命のピンチで、大山倍逹は相手の目を狙った。
 ここで繰り出した「目突き」という技について、細かい解説が加わる。

空手の話をするとき、空手の経験の無い一般の人は、良く目突きのことを話題にする。空手をやった人間に、二本の指で目をつかれたら、眼球が飛び出してしまうという話だ。もちろん、眼球をとび出させるというのは、私たちにとって、別にむずかしいことでは無い。

と、空手の強さと己の強さをアピール。

だが、目を狙われてじっとしているような人間はまずいない。何かが顔の前をかすめただけでも、人間は瞬間的に目を閉じる。(中略)どんなに力自慢の、頑丈な大男でも、目にちっぽけなゴミが入れば、お手上げだ。

と、「ちょっとしたカジュアルな目突き」の効果のアピールとともに「危険じゃ無いんだよ」っぽい気配を醸し出す。

相手がひるめば、そのチャンスをはずさずに、パンチを相手のボディにぶち込むなり、股間を蹴り上げるなりすれば、よほど力の差が無い限り、勝ちをつかむことができるだろう。

と、実践での有用性をアピール。

私は、紙に小さな穴を二つ開け、それを天井からつるして、その穴へ二本の指を突き通す練習をずいぶんやった。

と、自分自身の修行方法を、惜しげも無く披露。

一般の人間には、ちょっと不可能だろう。しかし、このむずかしさを、かなり緩和する方法はある。それは指を三本使うのだ。人差し指と中指と薬指の三本を使い、中指の先を、相手の鼻柱を滑らせるようにして、下から突き上げる。下から、相手の鼻を目標にしてつきあげれば、人差し指と薬指は自然と相手の目にとどく。

と、シロートでも「あっ、これならオレにもできるかも…」と思わせるテクニックまで披露。
 読んでいるだけで空手の、ケンカの極意を学んだような思いがする。
 と、ここで話は大山倍逹の世界ケンカ旅の本編に戻り、目突きをきっかけとしてピンチを脱した大山倍逹は、相手のレスラーを倒すのであった。


 この本は、大山倍逹の世界をまたにかけた武勇伝であるとともに、大山倍逹直伝の空手やケンカの極意を学ぶことが出来る一冊なのであった。