ーOOO-リリー・フランキーの二本立て

 ちょっくら映画館へ「凶悪」を見に行ったら、たまたま「そして父になる」の先行上映があったので、その二本を見てきたですよ。
 「凶悪」にリリー・フランキーピエール瀧が出ているのは知っていたんだけど、予備知識なしで見た「そして父になる」にもこの二人が出演していたのでびっくりしましたです。
 なかでもびっくりしたのは、リリーフランキーさんの演技力でした。
 先に見たのは「そして父になる」。この作品のリリーさんは愛すべき子煩悩なダメ親父っぷりが大変よかったです。「ああ、リリーさんってこういう人なのかな?」と思えるほど自然体な演技だったのです。
 しかし、「凶悪」の中でのリリーさんは、殺人を教唆する極悪人。先の役どころとはあまりにもギャップがあったのですが。ところがこれも、どういうわけだかやたらと自然に見えて困りました。
 泣いて命乞いをする老人に容赦なくスタンガンを押しつけるシーンがあって、あまりにむごくて見ているワタシは目を背けたくなったのですが。しかし画面の中のリリーさんはその行為を楽しんでいるように見えました。
 もちろん演技だと言うことは判るのですが、「目を背けたくなるような行為を心の底から楽しんでいるように見せる演技力」というのがリリーフランキーの中にあったのかと思うと、え、この人、もともと役者じゃないよね? すげくね? と、舌を巻かずにいられないのです。
 いやはや、いやはや。


 せっかくなので、ちょいと映画の感想も。

 

 病院で赤ちゃんの取りちがえがおこったことを知らないまま、血の繋がらない子供を育ててきた2組の家族の物語。
 「産みの親より育ての親」とはいうものの、実際にそういう事態に直面すると、そう簡単には割り切れないものなのだ。
 子供たちの自然な表情をフワッとすくい上げてカメラに写し取るのが是枝監督は大変上手で、今作でも兄弟・親子の関係をうまく描き出していました。
 感動的でありながらも良い意味で淡い印象のエンディングだったのですが、カンヌ国際映画祭では上映終了後に場内万雷の拍手でスタンディングオベーションがおこったようで、「ああ、あちらではこういう映画の最後にスタンディングオベーションをするものなのか…」と、変なことを思いました。

 

 獄中の死刑囚から雑誌編集部に届いた一通の手紙。それは、殺人事件の余罪の告白と、「先生」と呼ばれる首謀者の存在の告発だった。
 実際の事件をベースにしたフィクションなので、原作とどこがどういう風に違うのか、どのように料理されたのかが気になるところ。
 んでワタクシ的読解は以下の通り。


 この事件を追うのは山田孝之が演じる雑誌編集者。コトが起こると、自分の車を飛ばして現場を、証言を、証拠を探し求めます。
 しかし彼は事件の真実を追うことに集中するふりをしながら、実際の家庭生活から目を背けて生きています。
 彼の自宅の本棚にはハヤカワのポケミスがぎっしり。ミステリー小説ファンの彼は、社会正義のために真実を追究すると口にしながら、その実、推理小説を読むような興味本位で真実を追い続けているのです。
 物語の終盤、ある大きな転機が訪れ、彼はタクシーに乗って移動します。これは、事件にメドがついたことから、彼自身が自分でハンドルを握って行くべき「目標」を見失い、自分の人生の行き先を他人の運転に委ねたことを意味します。
 そして物語の最後に、そのことを別なカタチで言い当てられるのです。