ーOOO-( not zero ) GRAVITY

 

あらすじ

 技師のライアン博士(サンドラ・ブロック)とベテラン宇宙飛行士マット(ジョージ・クルーニー)は、ハッブル宇宙望遠鏡を修理するというミッションのため、宇宙遊泳をしていた。
 このとき突然飛来したスペースデプリにより、スペースシャトルが大破、二人は漆黒の無重力空間へと放り出されてしまう。
 地球に帰還する手段であったスペースシャトルを失い、酸素が残り少ない絶望的な状況下で、彼らは懸命に生還する方法を探っていく。

 本日公開のゼロ・グラビティを見てきたですよ。いやはや、良かったですなぁ。
 没入感・臨場感を考えれば、ぜひ映画館の大スクリーンで、それもできれば3Dで見て欲しい作品ですな。


 本作品の特徴の一つは、ほとんどカット割りをしないこと。ま、予告編だとバシバシとカットを割っちゃってますが。
 たとえば映画の冒頭、美しい地球を見せ、そこからスペースシャトルの周囲で行われている宇宙遊泳の様子を見せ、そこから一転して飛来する宇宙ゴミの嵐、連鎖して発生する事故に巻き込まれて主人公が宇宙空間に放り出され、ひとりぼっちで宇宙空間に放り出される…という一連の流れが、全部カット割りなしで進んでいく。
 そこから、宇宙服を着た主人公の顔のアップになり、ヘルメットの内側にカメラは潜り込んでいき、カメラの目線は完全に主人公の目線に取って代わります。宇宙空間に放り出されてグルグルと回転しながら、無重力空間なのでその場にとどまることも出来ず、回転を止める方法もなく、ただなすすべもなくグルグルと回転しながら、残り少ない酸素の残量を見てさらに絶望的な気持ちになり、ハアハアと荒い息を吐けばその息がマスクの内側を曇らせていきます。
 このとき私たちは主人公と同一化し、その絶望感と恐怖を共有していたのです。
 っていうか、映画の冒頭からこの部分まで、というかもっと先まで、カット割りしないんですよ! もちろんCGで繋いでいるのでしょうが、ぜんぶ1カメ。
 で、カメラの撮影しているモノ・コトが1人称的で、主人公のライアン博士の見ているモノ、見えているモノしか写さないので、観客である私たちと主人公のシンクロ感がハンパない。
 カット割りをしないから、都合よく省略して先のシーンに進むなんて事はないので、とうぜん映画はリアルタイムで進行します。上映時間1時間半の映画なのですが、コレ、出来事としてはせいぜい3時間程度のコトのはず。なのに、手に汗握る展開の連続。独特の緊張感。


 で、ホラ、映画館って、独特の緊張感ってあるじゃないですか? たとえば、椅子に座りっぱなしじゃないといけない、とか。声を出しちゃいけない、とか。
 そういう緊張感のある空間で「見る」というのが、この映画の手に汗感を高めちゃうので、ぜひ映画館で見て欲しい作品ですぞ。
 ま、こんな記事読んでないで、さっそく映画館にGO!


 なにやってるの、さっさと映画館にGO!
 はやくはやく!


 んで、余談。
 この映画のタイトルは「ゼロ・グラビティ」なのですが、原題は”GRAVITY”なのですな。
 「ゼロ・グラビティ」= 無重力
 ”GRAVITY”= 重力
 あれっ? 真逆なタイトルなのかな?
 無重力の宇宙空間を舞台にしたアクション映画としては、「ゼロ・グラビティ」のほうがふさわしいよねぇ?


 んで、ちょっと考えた。
 ”GRAVITY”には、「重力」だけじゃなくて、「引力」って意味もあったよね?
 もうちょっと調べてみたら、「重大さ」「真面目さ」,「危険さ」、「深刻さ」という意味があるみたい。
 宇宙の事故だから、そりゃあ危険だし深刻だよね…。


 ここでさらに、「引力」ってコトバに注目したい。
 引力と言えば、万有引力の法則。

 万有引力、もしくは万有引力の法則とは、
「地上において質点(物体)が地球に引き寄せられるだけではなく、この宇宙においてはどこでも全ての質点(物体)は互いに gravitation(=引き寄せる作用、引力、重力)を及ぼしあっている」
とする考え方、概念、法則のことである。

万有引力 - Wikipedia

 地球にモノが引きつけられる力=「重力」だけじゃない。
 たとえばこのテーブルの上に2つのモノがあれば、それらは「引力」で互いに引きつけ合っているのだ。ほんとうにわずかな力だけれど。


 主人公が宇宙空間でもがくとき、主人公たちは無重力空間という圧倒的な「重力」に翻弄されている。
 けれど、そのとき主人公たちはちいさな力でふんばって、なにかにしがみつこう、つかまろう、手を離すまいとしている。
 ここに働く力は、物理学的天文学的な意味の「引力」ではないけれど、なにしろ「この宇宙において、物体が互いに引き寄せる作用を及ぼしあっている」のだから、これだって広い意味では「引力」だろう?


 そこは漆黒の宇宙空間。
 重力はゼロ、酸素もゼロ。全ての生物は生きていくことは出来ない。
 だが、絶望的な危機の前に、「助けよう、手を離すまい」と「引力」が働く。
 その「引力」は、もう手の届かない場所からも作用を及ぼす。
 あまりの絶望に死を覚悟してなお、「生き抜こう」と「引力」が働く。


 ”GRAVITY”という映画は、無重力の宇宙空間で、ちっぽけな、そしてたくさんの「引力」が働く物語。
 この映画にはやはり「ゼロ・グラビティ」よりも”GRAVITY”というタイトルのほうがふさわしいと思えたのでした。


 なにやってるの、こんな記事読んでないで、さっさと映画館にGO!
 はやくはやく!