ーOOO-受賞で受傷

 先週は米アカデミー賞に続けて日本アカデミー賞の発表がありまして。
 去年はある程度たくさんの映画を見ていたので、どの作品がどの部門で候補になったかということや、誰が受賞したかということについて、個人的にはけっこうしっくりきた日・米のアカデミー賞でした。
 いやはや、自分が気に入ってた作品が受賞する、っていうのは独特のおもしろさがありますね。


 でワタクシ、米アカデミー賞作品賞を受賞したばかりの『それでも夜は明ける』を見て、ま、当たり前なんですが、「いかにもアカデミー賞の作品賞をとりそうな作品だなー」とか思いながら帰ってきたのでした。ぶっちゃけあんまり面白くないって言うか、重いって言うか、地味って言うか…。
 ワタクシ的に好きな作品は『ゼロ・グラビティ』だったのですが、これは作品賞を逃しましたね。
 だけどそのことは非常に腑に落ちるのです。
 『それでも夜…』には派手さはないし、取り上げる題材は重くて暗いし、それでも撮ったということを応援したくなる感じに満ちていたのでした。


 日本アカデミー賞の作品賞は『舟を編む』で、これも個人的には納得、という印象でした。ちょっと地味な作品でしたが、ていねいに撮ってあったので、応援したくなる感じに満ちていたのです。
 『そして父になる』もすごく好きな作品でしたが、こちらは作品賞を受賞しなかった代わりに助演男優賞リリーフランキーさん、助演女優賞真木よう子さんが受賞しました。
 この「どの部門で何が受賞したか」という案配が、すごい絶妙だと感じました。


 「ちょっと地味」だけど「作品それ自体を応援したくなる感じ」に満ちている作品こそが、受賞するワケなのですが。
 で、これが逆に、「アカデミー賞を受賞した作品なのだから、さぞかし素晴らしいのだろう」という感覚で映画を見に行っちゃう人には、がっかり感につながるのではないか? と思うのですな。
 受賞することは宣伝につながる反面、観客の期待値を上げてしまうので、そのことは作品にとって傷になるのではないか?
 受賞することで傷を受ける…「受賞で受傷」、あ、つまんないギャグでしたね。


 でもそういうことってありますよね?
 「賞を取ったことで期待値が上がりすぎる」と言う例で言うと。
 たとえば「『M1ぐらんぷり』のチャンピオンになった漫才って、どんだけ面白いんだろう?」などと、構えて見てしまうと、「この程度か」「こんなもんか」と思っちゃったりして、面白く見れなくなっちゃう。とか。
 むしろ「毎回決勝で負けちゃうんですよ」くらいのほうが、気楽に見れるって言うか、そもそもツカミとして面白いですよね。


 「これに賞をあげたい」ということと、「面白い」ということの乖離の例で言うと。
 『直木賞』『芥川賞』をとった作品って、文学的にはものすごいのかもしれないけれど、「何から小説を読もうかな」と言う人にはエラくハードルが高い、みたいな。
 まあ「いまどき小説を読もうとする人が直木賞とか気にするはずがない」というのもわかるんですけど、でもそういうことを言っていると読書のハードルが上がっちゃって間口が狭くなってしまうので、なんだかなー、と。


 ま、賞とか気にしないで、自分の好きな作品を楽しもうよってコトなのです。
 とか思いながら「猫侍」「魔女の宅急便」なんかも見てきたワタクシだったのでした。はふー。