ーOOO- 42.195kmのその先に - 東京マラソン参加記
こないだ東京マラソンのボランティア体験談を書いたワタクシなのですが、もう一回だけおつきあいくださいませ。
東京マラソン2015で、わたしはボランティアをしていました。
担当は、ゴールのあとの手荷物返却係。
ゴールの東京ビッグサイトには、自分の力を振り絞ってゴールに飛びこんできたランナーさんたちが次々とやってきます。私たちはみなさんをお待たせしないようにすみやかに手荷物を返却し、ひたすらお疲れさまと拍手をしつづけました。
手荷物返却係のボランティアの仕事は、自分の担当ブロックの手荷物がすべて返却できたらそれで終わりか?というと、そうではありません。
手の空いた人たちは、ランナーさんを手荷物返却受付へと誘導するような人垣を作り、次々にやってくるランナーさんたちをみんなで応援しつづけました。
42.195kmを走り抜いたランナーさんたち。
その多くは放心状態で、こちらが「お疲れ様でしたー」と言っても、返事をしたりしてくれるわけではありません。無表情で、うつむいて、足を引きずりながら、もくもくと手荷物受け渡しの受付へと進んでいきます。
ランナーさんの中には、ゴールしても元気いっぱいで、全てのボランティアにハイタッチをするヒトもいました。ニコニコしながら私たちにハイタッチするランナーさん。そういうのって、ボランティアしているこちらも元気と喜びをおすそわけしてもらったような気持ちになって、みんなでワーッと盛り上がりました。
それから、ボランティア一同の前で立ち止まって
「たくさんのボランティアのみなさんのお力があったから、最後までゴールすることが出来ました。ボランティアのみなさん、本当にありがとうございました」
と言って、深々と頭を下げるおじいちゃんランナーさんがいました。そういうのは本当に、「がんばってボランティアやってて、良かったぁ!」とボランティア冥利に尽きるなぁと感じつつも、42.195kmのあちこちでがんばった他の1万人のボランティアさんへのありがとうを、ここでワタシが受け取っちゃって良いモンだろうか?という重さをズシーンと受け止めたりしました。
だけど多くのランナーさんは、フルマラソンを完走して疲労の極みです。
足を引きずりうつむいて、無言で歩み去って行く数多くのランナーさんたちに
「完走おめでとうございまーす」
「お疲れ様でしたー」
と声援を送り、拍手をし続けるうちに、ワタシは「去年の自分は、ランナーとして拍手される側だった」ということを思い出していました。
(以下、この記事で使われる写真はすべて、前回の東京マラソン2014のものです)
今の今まで、すっかり忘れていた。
そう。
あのときわたしは、東京マラソン2014のランナーだった。
走る走る走る。
あるくよりも遅いスピードで、走る。
ただひたすら、ゴールを目指して。
必死の思いでゴールに飛び込む。それは、この物語のクライマックス。最高の歓喜の瞬間だ。
もう、走らなくていいんだ。
終わりなんだ。
ペタペタと歩きながら、手元のスマホで「完走なう」とか書き込む。
首には、小さくてズシリとした完走メダルをかけてもらう。
肩には、やわらかなフィニッシャータオルをフワリとかぶせてもらう。
スポーツドリンクとバナナをもらう。
通路の隅っこによけて、へなへなと座り込む。
渇いた喉をぐびぐびと鳴らし、スポーツドリンクを飲む。もしゃもしゃとバナナを食べる。
「おめでとうございます!」と、うれしいメッセージが何件も。チェックして、返信する。
落ちついて、スポーツドリンクを飲む。
…ふう。
すこし落ち着いてきたら、大きなため息が出る。
ゴール、しちゃったな。
終わっちゃったな、東京マラソン。
あんなに楽しみにしてたのに。
何度も何度も応募して、何年も前から楽しみにしてたのに。
…終わっちゃったんだな。
さびしくなる。むなしくなる。
ここ数年来の目標が達成されて、心にボカーンと大きな穴が開く。
レースが終わった直後には、さあビールが楽しみだとか、今夜は何を食べようかとか、そんなことは考えられない。とにかく疲れ果てている。
お台場の海風にさらされて、だんだん身体が冷えてくる。
ゴール直後の感動や興奮も冷めてきて、冷静に今日の自分の走りを思い出す。
一人ぼっちの反省会が始まる。
なにも、大それた目標を持っていたわけではない。
世界記録を出そうだとか、4時間切ろうだとか、そんなことは考えていなかった。
だが、思う。
「今日の自分はイケてなかったなぁ」、と。
走るのが遅いなりに、いっしょうけんめい練習したはずなのに。でも、思ったほどタイムは伸びなかった。
目標は、タイムだけじゃなかった。
「今回のレースでは歩かずに、最後まで走り抜こう」というちっぽけな目標は、達成出来なかった。
歩いてしまったというか、レースの途中では立ち止まることさえあった。
…がんばったんだけど、たいしたことなかったな。
いや、それでも自分なりに前から準備はしていたし、自分の力は出し尽くしたから、後悔は無いんだけど。
…でも、ダメだったなぁ。
ダメだなぁ、頑張っても自分はダメだなぁ…、という気持ちでグルグルする。
あんなに楽しみだった東京マラソンだったのに、いや、楽しみだったからこそ、ゴール直後はがっくりして落ち込んでしまう。
だが、どれほど後悔しても仕方が無い。
応募するだけでも、抽選倍率は10倍以上。次に自分が東京マラソンを走るのは、いつのことになるだろう?
…終わっちゃったんだな、東京マラソン。
すっかり身体は冷えている。
さあ、帰らなきゃ。
立ち上がりながら、ヨロヨロする。足に力が入らない。
残ったバナナをつるりと口に押し込んで、スポーツドリンクを飲み干し、乱暴に全部とにかく胃に流し込む。ペットボトルをつぶしもしないで、ゴミ箱に放りこむ。
あとは帰るだけ、か…。
ションボリしながら、ペタペタ歩く。
手荷物返却に向かう。
東京ビッグサイトに入ると、そこにはズラーッと並んだボランティアさんたちがいた。
「完走おめでとうございまーす」
「お疲れ様でしたー」
そしてみんなの、熱い熱い拍手。
パチパチパチパチ。
その応援は、不意打ちだった。
「その時の気持ちって、どんなだったんですか?」と聞かれれば、ひとことでは答えられない。
「うれしかったんじゃないですか?」と聞かれれば、それは違う。
ます、第一印象。
何だ、こりゃ?
だって、ゴールしたあとに、こんなに声援をもらえるマラソン大会なんて、どこにも無いのだ。
何だ、なんだこりゃ?
そして次に思うこと。
なんでそんなに拍手してくれるの?
ボランティアさんのお仕事かもしれないけれど、こんなに一生懸命応援してくれなくてもいいのに。
そして、恥ずかしくなる。
「完走おめでとうございまーす」の声に、「いやいや、完走率96%のマラソン大会なんだから、完走しても普通だよ、おめでたくなんか無いよ、すごくなんかないんだよ」と言いたくなる。
「お疲れ様でしたー」の声に、「いやいや、自分も疲れているけど、まわりのみんなも疲れてるんだから、そんなの当たり前なんだから」と言いたくなる。
自分は、そんなにすごいことしてないよ。
なにしろ遅かったし。
たいしたことないし。
そんなにおめでたい気持ちじゃないよ。
でも、ボランティアさんの熱い声援は、いつまでも、どこまでも、続いた。
「完走おめでとうございまーす」
「お疲れ様でしたー」
パチパチパチパチ。
その声援をずっと聞いているうちに、自分の心に変化が生まれてきました。
自分は大したことなかったけど、それでも精一杯やったよな。
自分は大したことなかったけど、とにかく完走したよな。
ボランティアさんたちの熱い声援は、たくさんの人たちに「いたいのいたいの飛んでけ」をしてもらっているような、傷ついた心をなぐさめてもらうような感じで、じわじわと私の心に染みてきました。
ワタシが手荷物を受け取って立ち去るときも、会場のあちこちで「完走おめでとうございまーす」「お疲れ様でしたー」と言う声援と、パチパチパチパチと言う拍手は、いつまでもいつまでも続いていました。
さっきまでうつむいていたワタシでしたが、その声援に送られ、会場を出るころには
「さ、帰り道はどこでビールを飲もうかな…」
なんてことを考えられる程度に、後悔の念を振り払い、気持ちは少しだけ前向きになっていたのでした。
あのときワタシはたしかに、ボランティアさんたちに元気を分けてもらったのでした。
そして今年の自分は、ボランティアとしてランナーさんに拍手する側なんだと思うと、不思議な気持ちになりました。
ハイタッチしてくれるランナーさんや、ボランティアを盛り上げてくれるランナーさんを、もちろん楽しく応援したけれど。
でも、表情のないランナーさんを見ると、あのときの自分を思い出してしまう。自分なりに頑張ったのに、東京マラソンが終わってしまったことがさびしくて、しょんぼりしていた、あのときの自分を。
去年ランナーとして参加していたときには、どうしてボランティアさんたちがあんなに暖かい声援を送ってくれたのか、わからなかったけれど。
今なら自分なりにわかる。
みなさん、そんなにしょんぼりしないで!
みなさん、とにかく完走したんですよ!
それって、すごいことですよ!
おうちや会社で、自慢して良いんですよ!
東京マラソン、楽しかったですかー!
そして声援を送らずにはいられない。
みなさん、完走おめでとうございまーす!
みなさん、お疲れ様でしたー!
パチパチパチパチ。
しょんぼりうつむいて、足を引きずりながら歩いているランナーさんたちに、ワタシは心を込めて拍手し続けたのでした。