ごくせん30%に思う ─◯◯◯-

たとえば、「トリビアの泉」と言う番組がある。

あの番組で、
スターウォーズのテーマ曲には日本語の歌詞がある」
なんて言われると、ちょっとしたマニアなら
 「ああ知ってる知ってる。子門真人が歌ったんだろ?
  トリビアの泉って、トリビアトリビア言うわりに、ネタがやっぱりうすいよなぁ」
とか知った風な事を言うのに違いない。

しかしそれはあの番組に対する正当な評価とは言えない。
あの番組はそのトリビアに続く
「それでは確認のVTRをご覧下さい」
こそが番組の本編の部分なのだ。
私だって子門真人スターウォーズの歌を歌ってるのは知ってたが、
聞いたことはないので、
「それではこちらをご覧下さい」
と言われれば、そりゃあ見たい。もう見たくて見たくて仕方がない。

雑誌などのパクリ企画の「○○トリビア特集」とかいって
トリビアが1000個くらいズラーッと並んでいるページを
あなたは通して読むだろうか?
松島トモ子はライオンに噛まれた10日後ヒョウに噛まれた」
なんて話が雑誌に載って埋もれていれば
そんなの相当どうでもいいわけだが、
「それでは確認のVTRをご覧下さい」
とすぐに言われれば、見たくて見たくて仕方がない。目が離せない。

トリビアの泉のキモは
あるトリビアに対して、付随して発生する再現実験等々のバカバカしさだ。
ある知識に付随して確認のVTRがすぐ出て、
しかもそのVTRでいかに笑いを取るかに彼らは腐心している。
だからあの番組で「トリビア」と呼ばれる物は、
VTRの絵作りのしやすい「知識」が選ばれているのであって
「どれほど世間の人が知らない知識なのか」を基準に選んでいるのではない。

古代オリンピックの選手は全員全裸で競技をしていた」
というトリビアが98へえを獲得したことと重ねて考えてみて欲しい。

さて本題。

昨今のトリビアの種のコーナーは、フォーマットがほぼ決まっている。
CMの前1分くらいは何度も実験に失敗して、
いまにも実験が成功するか?という瞬間にCMに入って、
CMがあけるといままでの実験のあらすじを1分くらい見せてから
ようやく結果が分かるという展開。

TV局にとって最も大事な客は視聴者などではなく
スポンサー様だ、と言う台所事情は良くわかるけれど、
見ているこっちはかったるいのだ。
そんなもの待ってられないからチャンネルをヨソに変えたり、
ビデオに撮っておいて、あとでかったるいトコを飛ばしながら見ようとか
思ったりするわけだが。

そうすると、見ている視聴者の数は昔も今も全く変わらないのに
視聴率だけはぐんぐんと下がっていくという現象が起こる。
ビデオにとって見ている視聴者の数は視聴率に数えないわけだ。
だって、ビデオにとってCMをスキップされたら
広告媒体としての番組価値はないのだから。
トータルの視聴者数と視聴率は一致するわけではない。


「ごくせん」の30%という視聴率。
正直あの時間帯のドラマは惨敗続きで、
「土曜の夜は若者は皆遊びに出ているから」とかいった
ライフスタイルの多様化を理由に視聴率の低下を納得付けていたわけだが、
実はそうではない。
「この番組を今、オンタイムで見たい」
という欲求を満たしてくれる番組なのだ。
視聴者が天から降ってきたわけではない。
昨今は
「途中がダルいから、ビデオに撮っといてあとで見ようっと」
と思わせる番組が多すぎる。