ーOOO-あるべき場所に想いよ届け

 久光哲司さんにお会いしたのは、シングルモルト余市1987の試飲会の時だった。
 シングルモルト余市1987が、ワールドウイスキーアワードのシングルモルト部門で世界一を受賞した記念のイベントだった。
 久光さんはニッカウヰスキーのチーフブレンダーで、製品の味に関する最終的な決定をする重要な立場についておられた。
 余市1987は、ウイスキーをあまりよく知らない私でさえ、一口飲んだだけで「これは美味い…」と思ってしまうような、そんなウイスキーだった。


 そのイベントの最後の懇親会。どさくさに紛れ、私は久光さんと直接話をするチャンスに恵まれた。
 そのとき私は、ウイスキーの話もそこそこに、自分が和菓子屋であること。味の責任者の立場にあること。会社の看板を背負うプレッシャーを抱えていること。そんな話をした。自分の話ばかりする私に、久光さんはきっと面食らっていたと思う。
 そして私は、こんな質問をした。
「自分が美味しいと思うものが、本当にみんなにとって美味しいものなのかどうかはわからないですよね?
 でも結局、自分には自分が信じる美味しいものを提供するしかできないんだけど、それが会社の看板を背負って販売されていくことに対する怖さとか、プレッシャーはありませんか?」
 ヘンな話だけれど、その時に久光さんが何と返事をしたのか、覚えていない。あのとき私は、ウイスキーでしたたかに酔っぱらっていたのだ。自分の悩みを酔った勢いで吐き出したことで、スッキリしたのかもしれない。
 たしかあのとき久光さんは、私を励ましてくださった。
「自分が信じる美味しいものを作り続けていけばいいんですよ、会社のみんなは、あなたの作る味を信じていますよ」
 そんな話だったような、違ったかもしれない。
 何を言われたのかはよく覚えていないけれど、なんだかすごく感動したことを覚えている。つい涙ぐみそうにもなった。
 あの夜、私は元気をもらって帰ったのだった。


 あの夜のイベントでは、いろいろなことを見たり聞いたりした。
 けれど、イギリスやスコットランドの人々は余市1987の世界一受賞を快く思わなかった、というのは悲しいことだった。
 スコットランドで修行した日本人が、余市にスコッチウイスキーの工場を造ったということ。
 今となっては世界で唯一の石炭釜で、昔ながらのスコッチウイスキー作りを続けているということ。
 そして、久光さんが余市1987に込めた、娘さんへの想い。
 スコットランドの人々はそういうことを全く知らずに、余市1987が世界一になったことを快く思わないまま、言い換えると誤解したままで過ごしていくのだとしたら、それは悲しいことだと思った。
 世界のどこか遠く、一人でも多くの人に、ニッカシングルモルト余市1987の物語を知って欲しい。
 だから私は、あの夜見たこと聞いたことをありったけ詰め込んで、記事を書いた。
 あの夜、私が久光さんにもらった元気のお返しがしたかった。


 キチンと想いを込めて書いた文章は、我ながらすいぶんと手応えのある仕上がりになった。
 そしてあの記事は、キーワードによっては検索エンジンで上位に表示される記事となっていた。
 キチンと書いた文章がキチンと検索結果の上位にくるという、あたりまえのことがずいぶんうれしかった。


 そしてある日のこと。
 イギリスのgoogleで検索した誰かが、私の余市1987の記事を翻訳して読んでいったということがわかった。
 余市1987が世界一になったことを快く思わない人が多いイギリスの中で、余市1987に興味を持った誰かが、わざわざ翻訳してまで私のページを読んでくれた。
 イギリスからの、たった一つのアクセス。
 伝えたかった言葉が、世界の届けたい場所にキチンと届いたのは、とてもうれしいことだった。